Friday, May 16, 2008

食客 식객 Le Grand Chef

隠れた料理実力者が,野菜などの食材を売りながら,全国津々浦々を巡る食物紀行を描いたホ・ヨンマンの同名漫画をスクリーンに移した作品

▼大韓民国最高の食通を自慢するウナム(雲岩)亭の代を引き継ぐため,弟子たちの中からたった一人の料理人を選出する席。食べ物に心を抱く天才料理人ソン・チャンと勝利のために水火も辞さない野心家ボンジュは,後継者席をかけて対決を繰り広げる。

▼二人の料理人の実力は,優劣をつけるのが難しいほど,味と外見が 優れた最上級の料理だが,ソン・チャンの料理を食べた審査委員たちが急にふぐの毒にあたって,一人二人と倒れる。この姿にあわてるソン・チャンと,そばで 会心の微笑を浮かべるボンジュ。結局,ウナム(雲岩)亭の後継者は,ボンジュに決まる。

▼そして5年後,朝鮮時代最高の料理人テリョンスクス(待令熟手) の刃物が発見され,彼の嫡統を探す料理大会が開かれる。5年前の失敗で料理から足を洗った天才料理人ソン・チャンは,料理大会を取材する熱血VJジンスの ひっきりなしの勧誘と宿命的ライバルのボンジュの登場で料理大会への参加を決心する。

▼現存する最高の料理人席をかけて再会したソン・チャンとボン ジュ。そして,二人の拮抗した対決を見守るジンス。天才料理人ソン・チャンを越えてテリョンスクスの嫡統を占めようとする野心家ボンジュと,彼の強力な妨 害工作にもかかわらず,実力を発揮するソン・チャンは,いよいよ決選で対決する。果たして現存する最高の料理人は,誰に決まるのだろうか。
sunairi: 結構在り来たりな真っ直ぐな映画。はらはらする事もなく、泣く事もなく、驚きもしない、食べ物の映画なのに美味しそうにも感じない。まあまあの映画ですね。

パッチギ!  井筒和幸監督&李鳳宇(エグゼクティブ・プロデューサー)

あらすじ

1968年京都にある東高校2年生松山康介は常日頃から争い事の絶えない朝鮮高校サッカーの練習試合を申し込むことになった。しぶしぶ朝鮮高校を訪れた康介は音楽室で一人フルートを奏でる少女・キョンジャに一目惚れする。しかしあろうことかキョンジャの兄アンソンは同校の番長であった。どうしてもキョンジャと仲良くなりたい松山は朝鮮語を必死で習得すると同時に楽器店でギターを購入。キョンジャが演奏していた『イムジン河』(임진강/림진강)を覚え彼女の前で演奏することを決意するのだが・・・。

sunairi: 全く、「パッチギ! LOVE&PEACE」と続き、良い映画です。全体的にスタイリッシュで、先ずは人気を得るのに、スタイルは大切とはこのことかも。難しい人権問題や差別の問題も、その時の空気の重さをスタイリッシュに見せれば全く違って見えると。「パッチギ! LOVE&PEACE」と並び、その時のメモラビリアは面白く、皆の格好が今の若者達がレトロをやってるみたい。主人公の塩谷 瞬は良い顔、少しメンズノンノのイワン君を思い出す。何をやってもすっきりとして崩れない顔です。アンソンの高岡蒼佑は良かった、昔のヤンキーのかっこよさを思い出した。ヤンキーってかっこいい人多いんだよね。キョンジャの沢尻エリカのは可愛い小太りでした。良い映画です。この映画、これが流行るという事が日本の韓国とのお近づきが流行というオブラートに包まれ進行しているという事ですね。

それでもボクはやってない 周防正行監督

Shall we ダンス?』以来10年ぶりの新作映画。前作の封切り後、じっくり時間をかけて地道な調査活動を続けてきた監督が「どうしても作りたかった」という、日本の刑事裁判に疑問を投げかける社会派の作品である。周防監督は、2002年に東京高裁で逆転無罪判決が出された事件をきっかけに痴漢冤罪(ちかんえんざい)に関心を持ち始め、自ら取材した数多くの同種事件の実在エピソードを作品中に散りばめるなど、痴漢冤罪事件を通じて、日本の刑事裁判の実態を映像化している。

2007年8月には、第80回アカデミー賞外国語映画部門に日本代表作品としてエントリーされた。また、同年5月には、スイス・ジュネーブで開催された国連の拷問(ごうもん)禁止委員会に合わせて現地で上映され、委員の過半数が映画を鑑賞したという。

ストーリー

フリーターの金子徹平は、朝の通勤通学ラッシュに大混雑する電車で就職面接に向かう際、女子中学生に痴漢と間違えられてしまう。敢えて無実の罪を認めて示談に持ち込むという妥協を拒み、あくまで濡れ衣を晴らそうとした徹平は、逮捕された挙句、起訴されることとなる。そして、徹平と彼の支援者達の長い戦いは幕を開ける。

sunairi: 映画を見るということがその時間の流れや凝縮した緊張感を感じさせた。見る内に社会の構成、そしてその矛盾と疑問が逮捕、裁判と言う流れに沿って自然に現れた。自分の仕事の地位をまっとうしようとする人々、そしてざわめき。

どうする事も出来ない日本の社会の仕組みを裁判所という場所で表す。日本という社会を、真実を問う裁判所に浮き彫りにする映画。この様などうしようもできない曲がって成り立っている仕組みというのは、その類の反対運動をするよりか、問題定義として芸術や映画、歌で表現される。映画という手法で其れがなされているのだが、映画特有の感情の何たら、愛が何たらなどを全てなくし、事件と裁判という明快な要素だけで作られたのが非常に良かったと思う。

これが「スイス・ジュネーブで開催された国連の拷問(ごうもん)禁止委員会に合わせて現地で上映され、委員の過半数が映画を鑑賞したという。」などと聞くと納得する。映画でありながら真実を問い、そして社会を問う。、『Shall we ダンス?』で海外を垣間見た周防正行であるからこそ、日本をもう一回内にいながら他者の目で見ることが出来た為の映画ではないだろうか。『誰も知らない』より海外の人に見てもらいたい映画です。