希望の国 | |
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監督 | 園子温 |
脚本 | 園子温 |
出演者 | 夏八木勲 大谷直子 |
撮影 | 御木茂則 |
編集 | 伊藤潤一 |
製作会社 | 『希望の国』製作委員会 |
配給 | ビターズ・エンド |
20XX年、日本の長島県の東方沖で起こった大地震により、原子力発電所が事故を起こし、原発から半径20km圏内が警戒区域に指定された。酪農家の小野泰彦一家の家は区域から外れたが、道路を隔てた鈴木家は強制的に避難させられる。
砂入:二言で「FUKUSHIMA 101、そして感情の垂れ流し」
先ず、日本人はこの映画の様に感情の表現を垂れ流さない事に美学があると思う。別れ惜しくてもハグ等もしないし、別れ惜しいからこそ寂しさを噛み締め我慢し後ろを振り返らず背中で泣くと言う美学、このような日本の良さがなく、大げさで、感情的な出演者はほぼ「叫ぶ」感情でこの状況をのたうち回る。長島、広島と長崎とくっ付けた架空の町の文脈は本当に意味があったのだろうか?福島で撮ったなら切実にドキュメンタリーの様に福島を舞台にした方が良かったのではないか?背景は3.11後の福島、然り、廃墟や壊れた建物流された家等が出て来る。
長島というキーワードは知的なタイトル作りであるが、福島との関係性、そして福島原発の漏れが合った筈の文脈からすると市民の対処の仕方体験の仕方が全く曖昧。母の精神的な病の根拠が全く掴めず、主人公の夫婦が子供が出来たときの周りの喜び様は現実感全く無し。こんな大騒ぎで叫び合うか?見たいな様子。福島の今の問題のダイジェストをメランコリーックにセンチメンタルに大げさに感情垂れ流しで作った作品。