Friday, June 6, 2008

同い年の家庭教師 동갑내기 과외하기 My Tutor Friend

21歳の同年齢という事実だけを除いて完全に相いれない関係にある二人の男女が,家庭教師と生徒という関係で出会うロマンチック・コメディー

▼お 父さんの失職で鶏肉屋の娘になったスワン。大学2年生の彼女 は,登録金のため高額な課外(家庭教師)を始める。机の下に鏡を隠して彼女のスカートの中を覗こうとする双子たちとの険しい対決。不正に耐えられない彼女 は,今日も家庭教師7日目で首になる事故を起こしてしまう。

▼しかし,「課外がなければ登録金もない」と叫ぶ母がうるさくて,再び課外戦線に飛び込んだ彼女は,ついに莫強難敵のジフンに会う。成金家の長男で,喧嘩好きで,学校では「チャン(番長)」になり,高等学校を2回も退学になった前歴華麗な同年齢の教え子ジフン。

▼初 めての出会いからパンマル(ぞんざいな言葉)は基本で,授業時 間ずっとタバコを吸うジフンに真っ青になったスワン。止めた場合は,また事故としてお母さんに面目がなくて,どうにか機先を制しようと二の腕をまくりあげ てみるけれど,ジフンのタイムリーヒット一発にまいってしまう。
sunairi: どうでもいい話、女性に大人気のクォン・サンワのどうでもいい演技。女性役のキム・ハヌルは始めてみたが、すこし80年代的な髪型と、色黒の肌が姉を思い出した。しかし彼女の技とらしい演技だったが、何故か意地を張った時のコミカルさがカリスマを感じさせた。


絶対の愛/時間 시간 Time

長い時間を共にした恋人セヒとチウ。セヒは,チウの愛 が変わった ことを感じ,その理由は,自分がもはや新しくなくなったためだと考える。チウは,そんな彼女の敏感な反応に疲労を感じる。傷ついたセヒは,ある日突然,す べての痕跡を消したままいなくなり,果敢な整形手術で新しい人になろうと思う。

そ してある日,チウは,セヒと好んで訪ねた行きつけのカフェで自 分をセヒだと紹介する妙な雰囲気のウェートレスに会う。新しいセヒと愛に陥るチウ。セヒは,彼を誘惑しながら,同時に彼が以前のセヒとの愛を忘れていない か試してみて,結局,彼が,セヒを忘れないでいることを知る。

しかし,以前に戻れないセヒは,セヒの写真で作った仮面をかぶって現れ,戻ってきた自分を愛してくれという。事実を告白されて驚いたチウは,席をけって出て行ってしまう。独り残されたセヒは,チウもまた新しい姿で自分の前に現れるだろうと思う。sunairi: キムギドクの映画は見やすい、よく有るつまらない映画の説明臭い状況の成り行きのじわじわ感が全くないのだ。ストーリーを語るのが下手と言うのだろうか?友達と見たらあちらこちらで『今のシーン変じゃないですか?』とか、『えっ!おかしい、今の!』みたいな言葉が連続。僕は結構慣れていて、普通に見てたのですが。僕としては変にじらされるよりさらりと物語に入ってくれるぶっきら棒さが気に入ってる。これはスタイルとしてだけど。話はいつも成るほどやっぱりキムギドクだと、思う。

彼って結構トレンドとか意識してるかも。それとタイムリーな社会問題をかなり扱おうとしているところが、なんか芸術映画的な趣を感じてた僕は何故かがっかりした。キムギドクはいつもピュアな願望、その切望と、余りにも残酷な現実とのギャップに生まれる苦悩を描く。苦悩が気を動転し、思い込みが異常なオブセッションへと変わっていく。結構このパターンが多い。

しかし友達も言ってたけど、結構男尊主義ですね、このau・teurと言う言葉、(強い創造的演出力を発揮する)映画監督と言う意味だが、au・teurとしての表現の自由を得た時、特に男性の作家は神の様なパワーを自分に感じるのではないだろうか?僕はこの自由を皆が働いているのに毎日が日曜日のような暇に感じパワーどころか、無力感を感じた。キムギドクはそう思わなかったんだろうね。彼はその暇と無力感をカリスマに変えたに違いない。いいのか悪いのか?でも見てしまう監督。