Friday, June 6, 2008

絶対の愛/時間 시간 Time

長い時間を共にした恋人セヒとチウ。セヒは,チウの愛 が変わった ことを感じ,その理由は,自分がもはや新しくなくなったためだと考える。チウは,そんな彼女の敏感な反応に疲労を感じる。傷ついたセヒは,ある日突然,す べての痕跡を消したままいなくなり,果敢な整形手術で新しい人になろうと思う。

そ してある日,チウは,セヒと好んで訪ねた行きつけのカフェで自 分をセヒだと紹介する妙な雰囲気のウェートレスに会う。新しいセヒと愛に陥るチウ。セヒは,彼を誘惑しながら,同時に彼が以前のセヒとの愛を忘れていない か試してみて,結局,彼が,セヒを忘れないでいることを知る。

しかし,以前に戻れないセヒは,セヒの写真で作った仮面をかぶって現れ,戻ってきた自分を愛してくれという。事実を告白されて驚いたチウは,席をけって出て行ってしまう。独り残されたセヒは,チウもまた新しい姿で自分の前に現れるだろうと思う。sunairi: キムギドクの映画は見やすい、よく有るつまらない映画の説明臭い状況の成り行きのじわじわ感が全くないのだ。ストーリーを語るのが下手と言うのだろうか?友達と見たらあちらこちらで『今のシーン変じゃないですか?』とか、『えっ!おかしい、今の!』みたいな言葉が連続。僕は結構慣れていて、普通に見てたのですが。僕としては変にじらされるよりさらりと物語に入ってくれるぶっきら棒さが気に入ってる。これはスタイルとしてだけど。話はいつも成るほどやっぱりキムギドクだと、思う。

彼って結構トレンドとか意識してるかも。それとタイムリーな社会問題をかなり扱おうとしているところが、なんか芸術映画的な趣を感じてた僕は何故かがっかりした。キムギドクはいつもピュアな願望、その切望と、余りにも残酷な現実とのギャップに生まれる苦悩を描く。苦悩が気を動転し、思い込みが異常なオブセッションへと変わっていく。結構このパターンが多い。

しかし友達も言ってたけど、結構男尊主義ですね、このau・teurと言う言葉、(強い創造的演出力を発揮する)映画監督と言う意味だが、au・teurとしての表現の自由を得た時、特に男性の作家は神の様なパワーを自分に感じるのではないだろうか?僕はこの自由を皆が働いているのに毎日が日曜日のような暇に感じパワーどころか、無力感を感じた。キムギドクはそう思わなかったんだろうね。彼はその暇と無力感をカリスマに変えたに違いない。いいのか悪いのか?でも見てしまう監督。


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