
▼そ してある日,チウは,セヒと好んで訪ねた行きつけのカフェで自 分をセヒだと紹介する妙な雰囲気のウェートレスに会う。新しいセヒと愛に陥るチウ。セヒは,彼を誘惑しながら,同時に彼が以前のセヒとの愛を忘れていない か試してみて,結局,彼が,セヒを忘れないでいることを知る。
▼しかし,以前に戻れないセヒは,セヒの写真で作った仮面をかぶって現れ,戻ってきた自分を愛してくれという。事実を告白されて驚いたチウは,席をけって出て行ってしまう。独り残されたセヒは,チウもまた新しい姿で自分の前に現れるだろうと思う。
彼って結構トレンドとか意識してるかも。それとタイムリーな社会問題をかなり扱おうとしているところが、なんか芸術映画的な趣を感じてた僕は何故かがっかりした。キムギドクはいつもピュアな願望、その切望と、余りにも残酷な現実とのギャップに生まれる苦悩を描く。苦悩が気を動転し、思い込みが異常なオブセッションへと変わっていく。結構このパターンが多い。
しかし友達も言ってたけど、結構男尊主義ですね、このau・teurと言う言葉、(強い創造的演出力を発揮する)映画監督と言う意味だが、au・teurとしての表現の自由を得た時、特に男性の作家は神の様なパワーを自分に感じるのではないだろうか?僕はこの自由を皆が働いているのに毎日が日曜日のような暇に感じパワーどころか、無力感を感じた。キムギドクはそう思わなかったんだろうね。彼はその暇と無力感をカリスマに変えたに違いない。いいのか悪いのか?でも見てしまう監督。

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