二人のガールフレンドを相次いで同じ男に奪われた後,嫉妬から彼の周辺をついて回るある青年の話。三人の男女の交錯した恋愛談を通して,人生のアイロニーと青年期の混乱の情緒を描く。
▼大学院の卒業論文を書きながら,アルバイトをして留学費用を貯めている着実な大学院生イ・ウォンサンは,恋人から妻帯者を愛するようになったと いう告白を聞いて冷たく背を向ける。雑誌社で仕事をする友人を手伝って問題の妻帯者ハン・ユンシクに会うようになったイ・ウォンサンは,妙な好奇心と衝動 からその雑誌社に就職する。そして編集長ハン・ユンシクの周辺をついて回る。
▼雑誌社の仕事で獣医師兼アマチュア写真作家のパク・ソンヨンに会ったイ・ウォンサンは,自分をよく見守ることもできず,孤独さにうまく適応でき ないまま寂しく生きている彼女に好感を感じる。イ・ウォンサンは,獣医師の仕事に格別愛着がないパク・ソンヨンに雑誌社のカメラマンの仕事を紹介する。と ころが,彼女もハン・ユンシクの誘惑の対象になってしまう。
砂入:久しぶりに見ごたえのある、静かで混沌とした感情を扱う映画が、やっと帰ってきました。最近は結構アホアホ系の韓国映画ばかり見てたため、 この映画が始まった時の音楽、漂う静けさを感じました。良いではないですか?よく、監督が何かを言いたい時、何かを言わんとするときはこの様な得体の知れ ない雰囲気を感じるんですね。
この映画も不条理な、少しアントニオーニのやるせないことの流れみたいな物を感じます。ええ、これでいいのって言うような、状態、其処に何らかの 幸せが漂う、そんな結末。綺麗でしたよ、ホン・サン・スーのビター・エンドよりもっと現実っぽい、ほらやっぱりみんな幸せを求めてる、孤独に終わるだけが しぶさではない。
そして映画が終わり、監督の名前が出てきました。パクチャヌク、ええ!あのパクチャヌク?『親切なクムジャさん』『サイボーグでも大丈夫』のパク チャヌクと思いきや、調べてみるとパクチャノクでした。一文字違いのパクチャノクさん、プロフィールを見ると『嫉妬は私の力』で色んな賞を貰っています。 そのパクチャノクさん、2000年にホン・サン・スー監督の『オー!スジョン』の助監督を勤めたんです。うーんもっと納得!ヨーロッパ映画的な雰囲気、上 に書いたように不条理アントニオーニ的な所、ホン・サン・スーから来てたんですね。
うんうん、この映画のウォンサンの恋人を食っていく男、ハン・ユンシクはホン・サン・スー監督の『オー!スジョン』の映画で出て来る嫉妬深いプロ デューサー、ホン・サン・スー監督の投影である俳優、ムン・ソングンなんですね。ってことは、ほらウィリアム・S・バロウズの才能を食っていくポール・ボ ウルズみたいに。
砂入芸術評論論理によると、全てを食っていくムン・ソングン=ホン・サン・スーに食われてそれで満足してしまうウォンサン=パクチャノクなんですね。
この映画の監督パクチャノクさんの顔を見るとこの映画の主人公ウォンサン見たいな、つるっとした少年、いえいえ、少しメルヘンがかった顔をしてい らっしゃる。つよ-いホン・サン・スーの男節にシンパシーを感じたんでしょうね。そこら辺が韓国の男性社会の男のつながり方さえも見えるような。やっぱ り、米国一流の芸術大学院映画科を出ていらっしゃるホン・サン・スーは、韓国の少し青い青年たちには眩しすぎるぐらいの太陽だったんでしょうね。
お父さんに自分の女を奪われている自分の未熟さから抜け出そうとしない若者、其処に奪うお父さんの愛を感じる、自分が見えなくなったとき、どこに進んでいったらわからなくなったとき、お父さんの愛をいつまでもと、そんな少年達の未発達の裸の証明。
ホン・サン・スー、いやいや、ネガティブおやじ(アジョシ)は人生の不条理と自分の才能と虚しさを、若者の、それも男性、いや青年達の去勢に変えていたったんでしょうね。
そんな映画でした。
ところがどっこい、今日韓国人の友達とこの映画について話をしていたら、パクチャノクサン、女性だという事が発覚しました。あのプロフィールの写 真の女性的な顔は、肌は、本当に女性だったんですね。ははーん、だからか、男性のつながりを滑稽に又は美しく、もしくわ嫉妬の目で見ていたんでしょうね、 タイトルのように。
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